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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)4621号 判決

原告

山根千知

外一名

代理人

山口民治

津田正

被告

東洋物産株式会社

代理人

神田洋司

堀内崇

復代理人

岡田信雄

被告

飯田秀平

代理人

堀内崇

復代理人

岡田信雄

主文

一  被告飯田秀平は原告山根千知に対し金六七七万四九七三円およびこれに対する昭和四一年六月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告山根千知の同被告に対するその余の請求および被告東洋物産株式会社に対する請求ならびに原告山根勧之の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告山根千知と被告飯田秀平との間に生じた分はこれを二分し、その一を同原告の負担とし、その余を同被告の負担とし、同原告と被告東洋物産株式会社との間に生じた分は同原告の負担とし、原告山根勧之と被告らとの間に生じた分は同原告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告ら)

一、被告らは連帯して原告山根千知(以下単に千知という)に対し一四五四万四〇〇〇円、原告山根勧之(以下単に勧之という)に対し五〇万円および右各金員に対する昭和四一年六月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告ら)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二、当事者の主張

(原告ら)

一、事故

原告千知は次の交通事故で負傷した。

(一) 日時 昭和三九年四月二日午後一一時二〇分頃

(二) 場所 横浜市戸塚区三ツ境五番地先路上

(三) 加害車および運転者 普通貨物自動車(品四な六八二〇号、以下被告車という)

被告飯田秀平

(四) 被害者 歩行中の原告千知

(五) 態様 前記道路右側を三ツ境駅から瀬谷方面に向けて歩行中の原告千知と瀬谷方面から三ツ境駅に向つて進行中の被告車とが衝突

(六) 傷害の程度 右事故により、原告千知は脳挫傷、骨盤骨折、左大腿骨骨折、左下腿骨骨折、左第三中足骨骨折、左そけい部挫滅創、左下腿挫創、頭部挫創、左腿挫創、外傷性麻痺性斜視の傷害を蒙り、横浜病院に直ちに入院(三日間意識不明)、昭和四〇年三月退院、同月一五日から高畑整形外科病院に通院、同月三〇日左下腿部化膿のため入院、同年五月二九日退院、同年七月六日左脛骨骨髄炎、外傷性麻痺性斜視等で島根県の玉造整形外科病院に入院、同年一二月三一日退院したが、その後も左眼球の動きが悪く視力障害(右1.2、左0.6)が残り、左下腿二か所の外傷と腸骨部分からの排膿が止まらない。

二、責任原因

(一) 被告飯田は、前記道路において被告車を酒気を帯び前方不注視のまま、漫然時速四〇キロメートルで運転進行させた過失により、原告千知に気付かず同人に被告車を衝突させたものであるから、民法七〇九条により原告らの損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告会社は、事故当時被告会社の食品業務係長である被告飯田をして、被告会社の取締役である宗田茂明が取締役、同監査役の今泉孝太郎が監査役をしている訴外プラム食品販売株式会社(以下訴外プラム食品という)から被告車を借り受けていたものである。

被告飯田は、被告会社の得意先である訴外日本酒類販売株式会社城西営業所に、翌日、被告会社の商品であるプラムジュースを置き廻りに行くため、被告会社に一旦出社するよりは距離的時間的に近い、被告飯田の自宅に被告車を持ち帰えつていて、その間に本件事故を起したのである。よつて被告会社は自己のため被告車を運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

三、損害

原告千知が本件事故によつて蒙つた損害は一四五四万四一〇九円五四銭であり、原告勧之の蒙つた損害は五〇万円である。

(一) 原告千知は玉造整形外科病院の入・通院治療費九万八六九四円を支出した。

(二) 原告千知は島根県松江市の松徳女学院の教師をしていたが、本件事故後昭和四〇年三月三一日まで欠勤、同日退職の己むなきに至つた。

そこで、原告千知は本件事故に遭わなければ次のとおりの得べかりし利益があつた筈であるのにこれを喪失した。

1 昭和三九年八月以降昭和四〇年三月迄の給与・賞与・手当のうち現実に支給をうけた金員を控除した差額合計二一万五二四五円

2 昭和四〇年四月以降昭和四一年八月迄の給与・賞与・手当 六三万四六七四円

3 昭和四一年八月以降就労可能な原告千知満七〇才までの給与・賞与・手当の現価合計(昭和四三年度の給与月三万三五三〇円および賞与・手当年一三万二四四三円を基準とし、その後の昇給を考慮しないで、給与については月別ホフマン式計算方法によりその余は年別ホフマン式計算方法により中間利息を控除して算出)

(三) 原告千知の慰藉料は、前記傷害の程度や、ことに後遺症により性生活・出産不能となり、当時二七歳の未婚女性として将来の結婚を断念しなければならなくなつたこと、刺繍・墨画・茶道の一流技芸修得も中途で挫折したこと等の事情を考慮すると、三〇〇万円を下ることはない。

(四) 原告勧之は原告千知の父であり、原告千知同様著しい精神的苦痛を味つたから、その慰藉料は五〇万円が相当である。

四、よつて、原告千知は被告らに対し連帯して右金員のうち一四五四万四〇〇〇円、原告勧之は被告らに対し連帯して五〇万円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四一年六月一二日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、被告ら主張二の(一)、(二)の事実を否認する。ただし、被告飯田が治療費の一部を支払済みであることは認めるが、その数額の点は不知。

(被告ら)

一、請求原因に対する認否

原告ら主張の一記載の(一)ないし(五)の事実は認める。(六)のうち玉造整形外科病院に入、通院したことおよび後遺症の点は不知、その余は認める。

同二記載の事実中、被告飯田は(一)の事実を否認し、被告会社は(二)の事実を否認する。

同三記載の事実は不知

二、被告らの主張

(一)、被告飯田は、事故当時被告会社の従業員ではあつたが、被告車は訴外プラム食品の所有するものであり、本件事故は、被告飯田が事故当日訴外プラム食品に勤務している友人から、自分の弟達と共にドライブを楽しむという私用目的で被告車を借り受け、現に右目的のためにこれを運転中、発生させたものであるから、被告会社には運行の利益・運行の支配ともなく、したがつて自賠法三条の責任はない。

(二)、本件事故発生については、原告にも車道の中央部分を歩行していた等の過失があつたのであるから、賠償額の算定にあたりこれを斟酌すべきである。なお、被告飯田は、横浜病院および高畑整形外科病院における治療費八六万六四〇四円を支払つている。

第三  証拠関係〈略〉

理由

一、当事者間に争いのない原告ら主張一記載の(一)ないし(五)事実および〈証拠〉によると、次の各事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件事故現場の情況は別紙図面のとおりであること

(二)  原告は別紙図面舗装部分を→に歩行し、の地点で被告車に衝突されたこと

(三)  被告車は別紙図面①地点付近で原告千知を発見し急制動の措置を講じたが及ばず、②地点で原告千知に衝突したこと

(四)  被告飯田は被告車を運転して時速約四〇キロメートルで瀬田方面から三ツ境方面に向け進行し、現場付近に差しかかつたが、対向車輛の前照燈に眩惑され前方に対する注視は不十分のまま、前記速度で進行したこと

(五)  原告千知はハイヒールをはいて右道路の舗装部分の最右端を歩行し、原告千知のやや前を訴外湯上満義が同一方向に歩いていたものであるが、被告車は訴外湯上をかするように走行しその背後の原告千知に正面から衝突したこと

〈証拠判断・略〉

右認定事実によると、被告飯田は、対向車の前照燈に眩惑され、一時前方注視が困難な状態になつたにもかかわらず、舗装部分の幅員九メートルの左側を左に寄りすぎた状態で徐行することなく走行した過失があつたと認められるから、不法行為者として、民法七〇九条により、原告千知に生じた損害を賠償する責任がある。なお、原告千知には過失相殺の対象となるような責むべき落度は認められない。

二、次に被告会社の責任の有無について判断する。

〈証拠〉によると、次の各事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告飯田は被告会社の食品業務係長であり、その職務内容は在庫品の管理、伝票の整理が主たるものであつたが、運転免許を有している関係で外回りが手薄な時は商品の運搬やセールスも時折担当していた。

(二)  本件事故当日、被告飯田は、上司から明日、日本酒類販売株式会社の城西営業所に商品の置き廻りに行くように業務命令をうけた。そこで、たまたま被告会社に来合わしていた訴外プラム食品の従業員中村某に頼んで、同人が運転して来ていた訴外プラム食品所有の被告車を借りた。翌朝、自宅(横浜)から一たん被告会社の本社に出て得意先を廻ると遅くなるので、自宅から直行しようと考えたからであるが、これは被告飯田の独断によるものであつて、被告会社にとつては予定外の行動であつた。

(三)  かくして、被告飯田は、被告車を自宅に持ち帰つたが、帰宅後弟達にせがまれて、被告車を運転中、本件事故を惹起した。

(四)  訴外プラム食品は、被告会社から仕入れたプラムジュース(被告会社の子会社が製造元)の販売を業とするもので、資本金五〇〇万円、従業員数は後記大倉を含めて六名、保有車両数四台といつた程度の会社である。役員は、代表取締役が大倉宏夫こと博夫、取締役が宗田英明ほか一名、監査役が今泉孝太郎であり、宗田と今泉は被告会社の役員でもあるが、これは、被告会社の大阪支店に取引上出入していた大倉が被告会社から訴外プラム食品の経営を担当してみないかと話を持ちかけられ、昭和三七年頃当時の経営者から五〇〇万円程で権利を買い取つて経営をはじめた際、二人の名を借りて、訴外プラム食品の役員をしたものであつて、被告会社が訴外プラム食品の経営を支配するため役員を派遣したという性質のものではなく、単なる名義貸与に過ぎない。被告会社と訴外プラム食品とでは、営業の場所も異なり、車両を貸借しあつたこともない。被告飯田が訴外プラム食品の保有車両を借用したのも今回がはじめてである。また、プラムジュースの販売を扱つている会社は訴外プラム食品に限らず、被告会社にとつてここはむしろ小口の取引先に過ぎない。

以上のとおりであつて、右認定事実によると、本件事故は、被告会社の従業員である被告飯田が、あらかじめ指示のあつた翌日の仕事の便宜上、取引先の従業員から被告車を借り受け、これを自宅に持ち帰つた際発生させたものであるが、被告車を借り受けた目的が被告会社の業務を執行するためであつたとはいえ、被告飯田は、被告会社に無断でこれを借用し、しかも、事故当時は私用のために運転していたのであるし、被告会社と訴外プラム食品との間には、訴外プラム食品が被告会社の販売部門としてこれに包摂されるような関係はなく、訴外プラム食品は前記大倉の個人会社的色彩の強い別個独立の法人であるから、私用運転中に事故が発生したものである以上、被告飯田の主観的な借用目的の如何にかかわらず、被告車に対する運行の支配および利益を被告会社に帰属せしめる余地はないものといわなければならない。

以上のように、被告会社は被告車を自己のために運行の用に供していたものといえないから、原告らの被告会社に対する本訴請求は、その余を判断するまでもなく失当である。

三、次に、損害について判断する。

(一)  原告千知が本件事故により原告主張一の(六)記載の傷害を受け、昭和三九年四月二日から昭和四〇年三月まで横浜病院に入院し、同月一五日から高畑整形外科病院に通院していたところ、左下腿部化膿のため同月三〇日同病院に入院し、同年五月二九日退院したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、

(イ)  原告千知は、その後、同年七月六日から同年一二月頃まで玉造整形外科病院に入院し、昭和四二年二月一九日まで通院し、同日次のような後遺症を残して治癒したこと、現在左下腿部に一六糎と三〇糎の、左大腿部に一八糎の各手術瘢、左そけい部に二五糎×一二糎の挫滅傷の瘢痕、左腸骨部に八糎の手術瘢痕、を残し、更に左動脈神経不全麻痺、左眼視力0.2、眼球運動傷害等があり、なお骨盤骨折の結果通常の結婚生活が困難である。

(ロ)  玉造整形外科病院の入・通院治療費として、少なくとも九万八六九四円の出捐を余儀なくされたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  〈証拠〉によると

(イ)  原告千知は昭和一一年生れの女性で、本件事故当時、松江市の松徳女学院に教師として勤務し、月額二万二七〇〇円の本俸のほか、年四カ月分(三月に0.3カ月分、六月に1.3カ月分、一二月に2.4カ月分)の賞与と0.15カ月分の寒冷地手当の支給を受けていたが、昭和三九年四月から本件事故のため欠勤し、昭和四〇年三月三一日退職の己むなきに至るまで合計二一万五二四五円の通常勤務した場合より少い支給をうけ、同額の損害を蒙つたこと

(ロ)  退職時における原告千知の給与等級は二級七号(昭和四〇年四月一日以降本俸二万七六四〇円)であつたが、同原告は、もし本件事故に遭遇しなければ、毎年一月に定期昇給し、昭和四〇年四月当時の給与表によつても、昭和四一年一月には月額二万九四四〇円に、昭和四二年一月には月額三万一四九〇円にそれぞれ昇給することが予定されていたこと

(ハ)  原告千知は、前記玉造整形外科病院を退院後、五カ月程養護施設に手伝いの形で住込勤務したが、仕事が合わなかつたためそこを辞め、現在は父親である原告勧之と未婚の姉と一緒に肩書地で生活し、就職はしていないことの各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の諸事実によつて、原告千知の逸失利益額を按ずるに、昭和四〇年三月末の退職は本件事故によるものであつて、もし事故によつて負傷しなかつたとすれば、少なくとも昭和四〇年一二月までは松徳女学院に勤務し続けたことは確実と考えられ、この間の逸失利益額は、先の認定事実に照らし、月給二万七六四〇円の計算による12.85カ月分であるから、三五万五一七四円と算出される。

問題は、昭和四一年一月以後満七〇歳までの逸失利益額である。原告千知が事故当時満二七歳であつて結婚適齢期を著しく逸していなかつたこと(なお、同原告の本件における主張としても、一方において事故による結婚不能を慰藉料算定事情の一として挙げていることを考え合わすべきであろう。)からすれば、同原告が、その主張どおり松徳女学院に勤務し続けることを前提としての逸失利益額をそのまま容認することには躊躇せざるを得ない。しかしながら、〈証拠〉から、同原告が同程度の年齢学歴の女性に比し平均より優れた才能に恵まれ、各種の技芸に達し、国家試験にも合格し、相当高度の稼働能力を有していたことは十分に認められるので、前記の勤務継続を前提とする逸失利益の主張を右のような稼働能力を喪失したことによる損害の主張と解して、その額を算定することとする。

前認定の諸般の事実を総合すると、その稼働能力は三〇歳から約三〇カ年を平均して月収四万円、年収にして四八万円を下ることはないと認められるが、前記後遺症状に応じての労働力の回復を考慮すると、稼働能力の喪失による金銭的喪失は年二〇万円と算定される。そして、同原告の稼働期間は満六〇才までと認めるのが相当であるから、昭和四一年から三〇年間の稼働期間における原告千知の得べかりし利益を現在一時に請求するため年五分の割合による中間利息を年別ホフマン式計算にしたがつて控除すると、三六〇万五八六〇円となる。

(三)  原告千知の受けた傷害の程度、原告千知の家族の状況、教師として勤務しえなくなつたこと、通常の結婚生活に入りえない身体となつたこと、その他諸般の事情を考慮すると原告の精神的苦痛は極めて大きいと言わなければならず、慰藉料としては二五〇万円を相当と認める。

(四)  原告勧之が原告千知の父であることは原告千知本人尋間から認められるが、原告千知の前記傷害の程度は死亡と同一視しうる程重いとは言いがたく、原告が本件事故により、原告の千知の精神的苦痛が慰藉された場合においてもなお、償いきれない程の精神的苦痛を受けたものとは認められないので、原告勧之の請求は理由がない。

四、よつて原告千知の被告飯田に対する請求中、六七七万四九七三円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四一年六月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるので認容し、その余の原告千知の請求および原告勧之の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(倉田卓次 小長光馨一 佐々木一彦)

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